障害者の一人として、社会的差別について感じていること

差別的表現と「差別用語」と当事者と第三者

とても丁寧でわかりやすい説明だと思った。
上記の記事が書かれた経緯については、ぼくもよく知らないんだけど、どうもこれが発端らしい。
はてブで「池沼」と罵るは削除に値する差別的表現でないというのが株式会社はてなの公式見解

健常者、障害者ともに色々な考えがあると思うが、冒頭の記事にも書かれている通り「社会的差別」と個人的な感情や見解に関することは分けて考えなければいけないというのは全くその通りだと思う。

ぼくはそれなりに人間関係が幅広くて差別的表現を使う人(例えばネットでいうところのマイルドヤンキーとか)とも友人関係にあって、自分のマインド(寛容さであったりポジティブさであったり)次第では、そういったある種の壁は乗り越えられるし、差別的表現を使う人が必ずしも差別的な人間ではないということを体験的に知っている。けれども、それはぼくに対する偏見や差別がなくなったというだけで、障害者全般への差別が彼らの中になくなったか、というのは全然違う話なのである。なので、冒頭の記事は論理的に正しいと思う。

今回はこの一連の話とは別に、ぼくが日頃感じている社会的差別について。

社会的差別というのは、ネット上の敏感さとリアルでのギャップに驚くことがしばしばある。当たり前だけどネットはテキストでのコミュニケーションがメインなので、どうしても言葉に関することが話題になるけど、社会的差別に当たる行為にももっと目を向けて欲しいなと思う。

例えば、身障者トイレを使ってタバコを吸ったりヤっちゃったりしてるガキンチョもそうだし、身障者スペースに平気で停めるオッサンどもの行動も立派に差別的な行為だと思う。
特にこれは自分が生活している中で頻繁に実害を食らっているのでかなり言いたいことがあるのだけど、身障者スペースへの無断駐車などは地方はひどい。

週末、大型スーパーやショッピングモール等に出かけると、必ずと言っていいほど身障者用駐車スペースは埋まっている。気軽な気持ちで停めているんだろうけど、車いすやベビーカーなどを車から乗せたり降ろしたりするには通常の駐車スペースでは狭くそれなりに大変なのである。だからそれなりに左右に余裕がないと当事者も同行者も乗降の手間が3倍くらいになるのです。なんとなく印つけて分けてるわけではないのである。

そしてその中には今にもリボーンとか言い出しそうな車が必ず停まっている。(あくまでわたしの行動範囲の中に限っての話だがあいつらの身障者スペース駐車率は異常に高い。)8台身障者駐車スペースがありながら全部埋まっていて、なおかつその内の5台がリボーン車だったときはさすがにおまえらマジで一回リボーンしとけよという気持ちになった。あんなダサい車にウン百万出すぐらいだから、ある程度小金もあって社会的地位もあるだろうと推測できるが、それでもそういうことを何の疑問もなくしてしまうのである。環境に配慮するのも大事だが、もう少し違うところにも目を配って欲しい。

すっかり特定の車に対する批判になってしまっているのでこの辺にしておくけど、実際そうしたことをしている彼らも、いざ1対1で話すなどしてみると意外といいやつなのかもしれない。障害者雇用に積極的な中小企業のおっさんかもしれない。それはわからない。でも、やっぱりそれとこれとは話が違うんじゃないかと思うのでござる。そしてタイトル間違えた気がする。

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